砂パ幼女の思い出語り

はじめまして。

10年ほど前に、某巨大匿名掲示板のごく狭い界隈で「砂パ幼女」と呼ばれていたのが私です。「ポケモンサンデー」というニチアサにやってた子供向けの番組に出演した際にネットの民達からつけられたあだ名で、どうやら当時のポケサンキッズバトル鑑賞界隈に爪痕を残したみたいです。せっまい界隈だな。

ちなみに今このワードでググってみたんですけど結構詳細なワード足して行ったらやっと一件だけヒットしました。めっちゃ懐かしいです。当時わたしは12歳だったので幼女って歳ではなかった気がするんですが、まあ砂パ少女より砂パ幼女のほうが言いやすいからね。

 

砂パ、なんて言われても知識のない方はなんのこっちゃわからんと思いますが、ポケモンのバトル用語です。

ポケモンの戦術の一つで、天候をわざとすなあらしにして戦うパーティーのことを略して「砂パ」って呼ぶんですが、当時のわたしはそれを使ってました。あと今後は容赦なくポケモン専用用語使うのでわからない方はその都度ググってください。

 

わたしがギリギリ幼女と呼ばれても許された当時は、ちょうどプラチナが発売されて、バトレボが出てたのかな?出てなかったのかな?っていうくらいの時代だったと思います。

当時は今のポケモンとは天候の仕様が違って、特性で天候が変わった場合には別の天候で塗り替えない限り(雨から晴れに変えるなど)ターン経過では天気が変わらなかったので、そりゃあもう砂パが強かった。当時はあめふらしもひでりも固有とくせいで、カイオーガグラードンにしか使えませんでしたからね。ゆきふらしはありましたけど。カバルドン出してガブリアスで殴るだけで、タマゴ厳選も3値も知らない当時の友人たちは全員完膚なきまでにボコボコにできました。まあ小学生ですからね。フルアタが基本の時期ですし当たり前ですね。

 

そんな身内でブイブイ言わせていたわたしですが、ある日突然テレビに出る事になりました。

ポケモンサンデー」という番組には、キッズとレギュラーメンバー1名でバトルをやる企画がありまして、そこにハガキで応募したら通ったんです。一緒に応募した妹は落ちました。

なんで通ったのか真偽のほどはわかりませんが、たぶんハガキにでかでかと「公式大会小学生の部ベスト8」って書いたからじゃないかな。しかもピンクの蛍光ペンで。

母親にそれはそれは強く勧められてしぶしぶ書いた記憶があります。事実なんですけど、当時はそういうのひけらかすのがなんか恥ずかしかったんですよね。今では過去の栄光として語りまくってるんですけど。大会はテレビに出るより2年くらい前の話なのに今でも鮮明に思い出せるので、もはや人格形成に影響してる気がします。目立ちたがり屋なところとか。

 

何はともあれテレビに出る事になって、一番喜んだのが親、次に友達の親、友達、ラストにわたしって感じでした。大人の喜び具合についていけないわたし。中でも一番張り切ったのは父親でした。

「出るからには絶対に勝たなければならない」

とすごい意気込みで、出演が決まるや否やバトルのためのパーティーを考えだしました。

わたしのポケモン歴の始まりは父親との二人三脚で、叔母さんから譲り受けたお下がりの緑バージョンでセーブができずに泣いていた3歳のころから小学校卒業まではお世話になってました。強くなりたいわたしのためにいろいろ調べていた父がわたしよりハマってずーーーーっと厳選して努力値振ってて、二人でエメラルドのバトルタワーやってたのとか本当に懐かしい。けど側からみたらマジで怖い親子だったんだろうな…わたしはバトルピラミッドが好きでしたが父はファクトリーばっかやってた。

父のせいで3値やらタマゴ厳選やらを覚えたと言ってもまったく過言ではない。ありがとう父。

そんな父がわたしの華々しいテレビ出演のために考えたパーティー

 

カバルドン(言うまでもなく砂起動要因。あくびももちろん搭載してるぞ!)

ガブリアス(エースアタッカー)

エンペルト(キッズパには大抵御三家が入ってたので可愛げ要因としているよねって話になった。あと相性補完)

 

だった。

ガッッッチガチのガチパ。

今思い出すとちょっと引くレベルのガチパです。ポケモンそこまで詳しくない人に説明するなら、草野球にプロのトップ選手連れてきた感じ。エンペルトのおかげでメジャーリーガーにならずに済んでる。

バトル相手はレッド吉田さんでした。しょこたんと戦いたかったのにもう収録済みで戦えなかったんですよね、大人の都合って難しいなと小学生ながらに思ったのをよく覚えてます。もうキッズでもなんでもないけど一回しょこたんと戦ってみたかったなあ…もし今戦うなら佐香智久くんがいいけど。おちるちる可愛くて好きです。

 

まあ、バトルには余裕で勝ちましたよね。

初手で相手のムウマージにじしん打つとかいう凡ミス中の凡ミスかまして顔真っ赤になりましたけど。ガチガチに緊張してた上に、待機時間長すぎて疲れてたんだよ、ゆるしてくれよ。

余談ですが収録のスタッフさんたちは昼過ぎくらいにうちに来て、収録が始まったのは夜9時くらいだった気がします。その間ずっとスタッフのお兄さん相手にポケモンバトル挑んだり、マリパして遊んだりしてた。テレビって大変だなぁと思いました(小並感)

バトルの内容的には、正直妹の方が強いかもしれないなぁ、というレベル。そりゃこんな姉とあんな父がいりゃそうもなるんですけど。相手のポケモンを初手のカバルドンと二体目のエンペルトでほぼ完封しちゃって、エースのガブリアスを見せたいがためにわざわざ交代して三体目を晒してから勝ちました。今思い返すと100パーセント無駄プなんで怒られても仕方なかったなと思う。でも自分が視聴者なら三体目が気になったと思うからあれはあれで正解だったはず。

 

その時交換でジャイアンしたムウマージは、多分、おそらく、まだどっかのロムに残ってるはずです。しばらくの間思い出として大事にしてたんですけど、DSから3DSに移すのが面倒になったのでプラチナか、もしくはブラックに残ってる気がします。気が向いたら探します。

あの時ムウマージと交換でレッドさんにあげたフカマルを育ててバトルで使ってくれてるのをテレビで見ていつも喜んでたんですけど、せっかく(たまたまだけど)遺伝で覚えてたつるぎのまい(以下剣舞)消されてた気がするんですよね!?じしんは残ってましたけど剣舞使ってるとこ一度も見なかったんで多分消されてた気がします。めっちゃ悲しい。

あー今、ここのターン剣舞いけるな〜って思いながらバトル見てたのに一向に使わないし、あれぇ?って思ったらどうやら消されてたって言う。まあね…うん…使いにくいよね、積み技…

 

まあこれ関連の思い出は語っても語ってもこんこんと湧いてくるんですけど、出来事に関しては詳細に思い出しすぎると色々余計な思い出が出てくるのでやめましょう。

ポケサンバトル界隈でわたしが爪痕を残したのかもしれないと思ったのは、わたしの出番以降に某掲示板での扱いを見てからでした。

いや小学生にそんなもん見せんなよと今なら思いますけど、うちの父は見せてくれたんですよ、しかも嬉々として。

「砂パ幼女とか呼ばれてるぞ!」って。

多分、使ってるパーティーのガチさに対してふゆう持ちにじしん打つ凡ミスっぷりとか、子役を疑われるレベルのリアクションの良さとか、親とか兄貴のパーティー丸々借りたにしては使いこなしてる感とかが、どうにもちぐはぐだったんでしょうね。あと単純に強かったとか。

そうそう、子役か?って言われたこともあったんですよ。べつに美幼女でもなかったのでちゃんちゃらおかしいんですけどね。自分で言うのもナンですがわたし優等生だったので大人の求めるリアクション取るの上手かったんですよね。あと近所に本当に娘に子役目指させてる芸能ママがいて、その人はわたしの出演時間をきっちり秒まで測って教えてくれたらしいです。エキストラで出演した時とかそういうの測って喜ぶらしい。こっわ。

とにかくわたしはほんの少しの間だけご近所の有名人になったんですが、その後すぐに受験勉強に追われてポケモンから離れることになったのでわたしの中ではあっという間に過去の栄光と化していきましたとさ。ちゃんちゃん。

 

これもまた余談ですがその後何回か再出演の依頼があったらしいです。受験で忙しかったのと、わたしが行くことになった中学がテレビとか出たらダメな学校だったのでお断りしてたんですけど、あれ出てたらわたしは第二のしょこたんだったのかもしれない。